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【巨星花形アレンジャー】
偉大なるアレンジャーがどんどん居なくなってしまい実に残念である。近いところでは、作曲家として、また編曲家として、この方の話を避けて通れない。人間的にもタレント性からも日本の歌謡史に燦然と輝き続け、日本音楽界に大きな功績を残した「H・M氏」いまだ不世出のコーラスと評される、双子姉妹「ザ・P」台湾からの「T・T」「F・O」を育てたのも「H・M氏」。歌謡バラエティー番組全盛期を支えたのも、この方なくしてあり得ないほどの名アレンジャーであった。
惜しくも今春3月逝去され、まだ我々ミュージシャンの心を痛めて間もないが、とにかくマニアックであったポピュラー音楽とそれ程音楽に興味のない一般家庭茶の間とを繋いだのは「H・M氏」と言っても過言ではない。
逸話として数十年遡るが、ある歌手のコンサートアレンジを手がけたときに、エンディングの音が「ジャーーーーーン」と響き、終わると思いきや、さらにもう一発「ジャカジャカジャン」と追加音があり演奏者側は「最後の音は必要ないんじゃないか?」と思ったが「H・M氏」曰く「最後の追加音は緞帳が閉まって、下まで降りたあと、ジャカジャカジャンと緞帳が揺れるんだよ」これには全員、唖然。ただ単に曲のアレンジをするだけでなく、客席から「お客様がコンサートに酔い最後の最後まで余韻を楽しむ」これを満足させるサービス精神に感動したものである。
「ステージに立つ者、夢を与えなくてはいけない」と、ステージ衣装も燕尾服・タキシードなど派手の3乗4乗したものを、さらにスパンコールなどで飾り、場合によっては前で歌っている歌手よりも目立つという、当時のミュージシャンでは考えられない徹底ぶりであった。
ミュージシャンの陽気さから、タレントになった人も「F・S」や「K・A」「C・キャッツ」の大御所達「Dターズ」の面々、等々など、数あれど、ミュージシャンのままお笑いタレント顔負けの活躍をした人もそうはいないだろう。
なによりも惜しまれるのは、タレント性の一面はともかく、音楽性の質も極めて高いミュージシャンであったこと、逝かれた後、これがなにより残念である。
近年長男が「Mケンサンバ」の作曲で、跡を継いでいるのは嬉しい限りである。
偉大なる音楽家「H・M氏」の功績を称え、お悼み申し上げます。
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