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【キャバレーは予備校】
近頃の楽隊屋さんは「何々楽団」のメンバーという構成員ではなく、ほとんど単独で動くフリーのミュージシャンである。
一昔前は、ほとんどが、どこどこのキャバレーの「☆★バンド」所属とかいっており、腕を磨いてうまくなると世に知られたあこがれの「原信夫とシャープス&フラッツ」「宮間利之とニューハードオーケストラ」等々いくつかの名バンドを目指し頑張っていた。
筆者も、様々なバンドを経て「見砂直照と東京キューバンボーイズ」の一員であった。
ミュージシャンにとってキャバレーが、ある意味で予備校のような存在で、現代そういう場所のないこれからミュージシャンを目指す人たちにとっては、昔のミュージシャンと比べ大変である。
かのキャバレーバンドそのものでもレベルがそれぞれあり、予算のないキャバレーでは小編成のバンドを、予算のあるキャバレーは大編成のビッグバンドを、更に予算のあるキャバレー(このあたりは当時ナイトクラブといった)は、一流のミュージシャンばかりで編成された少人数のグループを抱え、筆者が所属する「見砂直照と東京キューバンボーイズ」も赤坂にあった「ニューラテンクォーター」という超高級ナイトクラブに専属バンドとして所属していた。
筆者も当時の仲間と一緒に、深夜2時、店の営業が終わるのを待って朝まで練習したものである。
「ニューラテンクォーター」位の高級ナイトクラブになると、照明をかねた電気技師、ミキサーと呼ばれる音響技師、その他各部門で数名ずつの専門家がおり、我々の練習場所として、店の人には内緒で深夜の電気を提供してくれた。
中には音楽好きのホステスさん(当時社交さんといった)が練習を聴きたくて残ったりし、おにぎりやジュースなどたまに差し入れてくれ、今でもほのぼのとした素晴らしい思い出である。
こういった人たちに支えられ、世に出ていくミュージシャンは、現代と比べ、5倍ほどの人口があった。
よき時代の、よき風俗であった。
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